![]()
信長プロジェクト報告会
3月22日、下記の通り公開報告会を開催しました。
当日配布したレジメおよび谷口克広氏の講演はダウンロードできます。
ダウンロード 当日配布したレジメ (PDF)はここから
■基調講演(音声)
「信長はどのように評価されてきたのか」谷口克広(信長研究者)です。(映像は動きません)
主 催 |
信長資料集編集委員会・岐阜市歴史博物館
|
|---|---|
日 時 |
3月22日(月・振休) 午後1時30分~午後4時30分
|
場 所 |
岐阜市歴史博物館 講堂 (岐阜市大宮町2丁目18番地)
|
受講者 |
190名
|
■基調講演 「信長はどのように評価されてきたのか」
谷口克広(信長研究者)
■シンポジウム 『信長学は可能か』
パネリスト |
横山住雄 (濃尾歴史文化研究所主宰)
谷口克広 (信長研究者)
和田裕弘 (信長研究者)
岡田正人 (信長研究者)
金子 拓 (東京大学史料編纂所助教)
高木叙子 (滋賀県立安土城考古博物館学芸員)
竹本千鶴 (国学院大学講師)
|
|---|---|
コーディネーター |
土山公仁 (岐阜市歴史博物館学芸員)
|
2010.04..01
信長資料集編集委員会
天下布武
1567年9月、金華山の頂に立つ
■1567年9月、信長は斎藤龍興を伊勢長嶋に追い、それまで尾張の平野部から見上げ続けてきた金華山の頂に立つことができました。信長のまなざしにはそれまで幾多の戦いの場となった尾張や美濃の河川や平野部だけでなく、伊吹山・関ヶ原のかたなの京を見据えていたのに相違ありません。
■この時から「岐阜」の名が広く使われるようになるとともに、その2カ月後信長は「天下布武」を使うようになったのです。この時から戦国の騒乱も信長を中心にした動きに収斂してきました。1576年2月、信長が安土へ移るまでの9年間、岐阜は信長の天下布武の拠点でした。
信長をテーマにした町づくり

■岐阜市では信長をテーマにした町づくりを進めようとしています。信長居館跡の発掘調査を実施し、信長に関するシンポジウムも開催しています。それと連動して、信長に関するさまざまな情報を収集・発信しようとしています。
その基盤になる調査・研究を受託したのが、特定非営利活動法人 城郭遺産による街づくり協議会で、岐阜市歴史博物館と連絡調整しながら、信長資料集編集委員会を組織し、調査をすすめています。
■信長資料集編集委員会では、信長に関する文献(論文・エッセイなど)を集めた「信長文献目録」・信長の遺品を集めた「図録信長」・信長の生きた時代の文書や日記を中心にして、信長の生涯を追いかける「信長史料集」を5年間かけて調査し順次編集します。
プロジェクトの目的
■このプロジェクトの最終目的は、信長がこの地にさまざまな絵画・茶道具の名品を集結させたように、信長に関する多様な情報を岐阜に集積し、信長学を立ち上げることです。その手始めとしてこのプロジェクトの活動を紹介するため、このHPを立ち上げました。
信長に関する広大な情報の海をプロジェクトスタッフだけですくいあげることは困難であることは重々わきまえています。みなさま方のご協力ご指導をお願いする次第です。


横山住雄エッセイはこちら
和田裕弘エッセイはこちら